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秋もいよいよ深まり始め、夜長の時期を迎える月とされています。
(月が長く見られる月との意。)
ながつき
長月
九 月
9月5〜7日
『お墓参り』
今回は姉と(父方の)私たちのルーツを訪ねあるく!!
『願成就宮 久保神社』『西蓮院』『四天王寺―守屋祠』『生駒ー宝山寺』
『願成就宮 久保神社』
聖徳太子が四天王寺を建立する際に四天王寺を守護する四天王寺七宮(四天王寺の鎮守とされる7つの神社) の一社として創建されたことに始まり、以後 天照皇大神(アマテラス)を祀る旧久保村の産土神(土地の守護神)となったとされています。
祖父・父・叔母たちを偲ぶ。
玉垣
『四天王寺ー物部守屋の祠』
聖徳太子は推古元年(593年)、四天王寺を建立される時に、 戦いに負けた物部守屋の御霊を四天王寺の境内地に祀られ、 さらに守屋の家来達を寺の公人として使役されたといいます。 守屋の御霊は、聖徳太子のこの広大無辺な慈悲に対して 大感激したそうで、それからは四天王寺を守護する守り神として 参拝する人々の願いを叶えてくださっている! という伝説があって、この祠は、別名
「願成就宮(がん じょうじゅのみや)」
毎月22日のみ、絵堂無料拝観に。
『生駒ー宝山寺』
彫刻家でお坊さんの湛海(たんかい)。1678年に宝山寺が開山しました。 今の生駒山で、その山々には「饒速日山(にぎはやひやま)」の名も伝えるほどの物部氏の聖地でした。 石切剣箭神社は上の宮と本社があり、上の宮には饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が祀られ、本社には可美真手命(ウマシマデのミコト)が祀られています。 その 可美真手命(ウマシマデのミコト)は櫛玉饒速日命の子で、物部氏の祖だそうです。 饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)はというと、天照大神の命で、天磐船に乗って交野市私市にある磐船神社に降りてこられたという いくつかある天孫降臨伝説が残っています。 古代における当社の祭祀は饒速日命の子孫である物部氏(もののべし)によって行なわれていました。その中でも特に交野地方に居住した物部氏を肩野(かたの)物部氏という」との説明が神社にありました。 神話によると物部氏はここから始まったそうです
参道の両脇には玉垣
左側中間に祖父・叔母たちの玉垣があります。